永眠をしたNへ

先週の日曜日、友達のNの旅立ちを見送ってきた。

Nとは中学・高校の同級生で、学校を卒業した後も、俺が地元にいた20代までは、いつも一緒に遊び回っていた。

特に高校時代は、毎朝一緒に自転車で天橋立を通って通学をしていて、昨日のテレビのこと、好きなアーティストのこと、クラブ活動のこと、恋愛のこと、試験勉強のこと、くだらないこと…挙げ始めればキリがないほど、どんなことでも話したし、いつも一緒だった。

Nは明るく楽しい性格だったので、俺とは違って女の子にもてる存在だったので、一緒にKTR(北近畿タンゴ鉄道)に乗り、遊びに行ったときに「二俣(ふたまた)」駅に到着をしたときに、「ふたまたやで、ふたまた!」と、よくからかっていた。

ちょうど、数日前、会社でそんな友達がいるというエピソードを話していた。
もしかすると、Nが旅立つ前に、俺に存在を思い出させてくれたのかもしれない。

 

土曜日の朝

朝から携帯電話のバイブレーションで起こされた。

母から「N君が亡くなった」と連絡があった。

最初、一体誰のことを言っているんだろうと思い、何度も聞き直すも「N君」と俺に伝え続けてる。けれど、自分の頭と心が、その言葉の意味を理解できずにいた。

「Nが亡くなったって…いったいどういう事なんだ?」

すぐに、共通の友達に連絡を取ってみると、確かに「Nが亡くなった」と言っている。これは事実なんだと俺に言っている。

俺は礼服と靴を車に入れて、すぐに地元へ向かった。

自分にとって大切な人が死んでしまったら、きっと悲しくて何日も泣きはらしてしまうんだろう。
物心ついた幼い頃から、どこか漠然と、そう思っていた。

けれど不思議と、悲しみというか、喪失感のような暗い重さは無かった。

それどころか、Nと中学校時代によく聴いていた曲を流しながら、一緒に歌いながら、これからNに会いに行くんだ、Nと遊ぶために向かっているんだ、くらいの気持ちだった。

約3時間の移動で、一旦実家に帰り、礼服に着替えてから、葬儀が行われる斎場へ向かった。

斎場にはお通夜開始時間ちょうどに到着した。

すでにお通夜が執り行われ始めていて、式場いっぱいに配置された椅子に、隙間無く列席者が着席をしていた。

Nが横たわる祭壇は多くの花で飾られ、その真ん中に笑顔で微笑むNの姿が投影されていた。

俺は式場の一番奥に立ち、スピーカーから流れるお経を聞きながら、Nと出会った中学校時代からこれまでの事を思い出していた。

20分が経過した頃、お通夜の式は閉じられ、住職が退席され、列席者も順に会場を後にしてゆく。

人が殆どいなくなって、ようやくご両親の姿を見つけ出した。と同時に、Nの母親は十数年ぶりに会う俺をすぐに俺だと分かってくれて、声をかけてくれた。

「まぁ、来てくれたんやね。ありがとうね。」
「もちろんですよ。でも、全然、今この瞬間もNが亡くなったなんて信じられなくて…」
「だって、最後まで誰にも言わなかったからね。それにあんた今まで行方不明だったやないの」
「すみません、ご無沙汰しておりまして…」
「祭壇に、Nがいるから、最後のお別れしてあげて」
「はい。もちろん。」

祭壇に1歩1歩近づいてゆくと、遠くからは分からなかったけれど、棺の部分は、より一層賑やかに飾られていた。

生花はもちろん、Nが好きだった車が載っている雑誌、ガンダムのプラモデル、「おとうさんへ」と書かれた手紙など、それはもうNが好きで仕方がない物で埋め尽くされていた。

棺の前まで来て、その中を覗いた瞬間に、涙が溢れ出してきた。

頭髪のない、青白く痩せこけた顔のNが、その中に横たわっていた。

その姿を見た瞬間、数歩後ずさりをしてしまった。

「これは事実なんだ!」と脳を強く揺さぶられ、体を羽交い締めにされたような痛みが走った。

もう、何も言葉が出てこなかった。

止めどなく流れ出る涙で、すぐそこにいるNの姿が、遠く遠く霞んでゆく。

さっきまで思い浮かんでいた思い出さえも、涙にかき消されていった。

Nを直視していたのはおそらく数秒だったはずなのに、その変わり果てた姿が目に焼き付いて離れなかった。

 

13歳〜30歳

俺とNとの出会いは中学校だった。

もう記憶が曖昧なのだが、中学校2年生の時には同じクラスで、いつも休み時間には遊んでいて、いわゆる仲の良い友達だった。

クラブ活動は俺が陸上部でNがテニス部。住んでいる場所も少し離れていたから、一緒に帰るという事はなかったけれど、学校にいる間はよく遊んでいたという感じだった。

高校でも同じ学校・学科を選択していたので、少なくとも5年間は同じクラスで毎日顔を合わせていたということになる。

高校を出た後は、俺は東京に行き、Nは実家の家業を継いだ。

車が好きだったNは運転免許を取った後、すぐに白いシルビアを買って、中期の休みで実家に帰った俺をドライブに連れ回してくれたのを覚えている。

何度かNの彼女を助手席に、俺は後部座席に乗って一緒にスノーボードに行ったり、真夜中に牛丼を食べに1時間のドライブをしたり、とにかく車のイメージが鮮烈に焼き付いている。

その後、俺が地元に戻って仕事を始めた後も、ちょくちょくNの店に顔を出しては、お互いの仕事終わりに遊びに行ったりしていた。

俺が30歳の時、京都市内に引っ越す事にした時も、Nに「またこっちに帰ったら遊びにくるなー」って言って地元を離れた。

その時は、中学校・高校の頃と同じように、またいつか、ごく普通に会える事ができることを疑わずにいた。

 

あれから10年

俺が地元を離れ、京都市内に住み始めて、ちょうど10年。

その10年間のうちに、Nは実家の家業を継ぎ社長となり、結婚し、1人の子供を授かり、9年間の闘病をしていた。

その間、俺はNに1度も会っていなかった。
実家に帰ることも殆ど無かったし、帰っても盆正月の数日で、Nに会うことなく京都市内に戻ってきていた。

また、途中、俺が携帯電話の番号を変更してしまったのを伝えていなかったせいもあり、音信不通状態になっていた。
もちろん、仲が悪くなったとかではなく、家業であるお店に行けば、いつでも会えるという安心感がそうさせていた。

 

Nは一人娘に恵まれた、そのすぐ後、31歳の時にガンを発症したそうだ。

発見された時には、既にステージ4だったらしく、幾つかの転移も見うけられたそうだ。

すぐに手術をし、抗ガン剤治療もしながら、3ヶ月間の入院後、退院をして自宅療養をしながら、徐々に仕事復帰をしていったそうだ。

しかし、数年後に再発をし、再度の手術。抗ガン剤治療、退院。

そして再発…。

そんなことを7年間繰り返し、2年前に入院をした時には、すでに骨にも転移をしていたそうで、ベッドに横たわって寝ることも辛くなっていたそうだ。

その際には「2013年の5月頃まで持つかどうか…」と宣言されていたそうで、ここまで長く生きていられたのは、本人の強い気力だったそうだ。

9回の手術をして、どれだけ辛くても、弱音を吐かなかったN。

病院生活での気を紛らせるために、細かくて神経を使うガンダムのプラモデルを黙々と作り続けていたN。

友達の誰にもガンだと言わずに、自分1人で自分の人生の全てを受け止めてしまったN。

 

たらればを言ってしまうと、もう止めどなく出てきてしまう。

でも、Nが生きていれば「もうええっちゃ、泣くなや」って笑顔で、この寂しささえも噴く飛ばしてしまうだろう。

だから、Nが生きていた日々の思い出は俺たちがギュッと心に詰め込んで、Nの強さに近づけるように、優しくて強い人間になれるように生きてゆかなきゃって思う。

 

きっと今頃は、天国で大好きだった車に乗って、女の子を探し回っているはず。

飽きるまで乗り倒しただろうなって頃に、俺がそっちに行くから、またあの頃のように一緒に遊ぼうな。

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